大阪地方裁判所 昭和48年(ワ)4614号 判決 1978年9月27日
原告
寺島多恵外五名
原告ら訴訟代理人
木村楢太郎
日置尚晴
被告
大阪市
代表者
大島靖
訴訟代理人
井下治幸
主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実《省略》
理由
一本件請求の原因事実中、(一)、(二)の各事実は当事者間に争いがない。
二久保善彦の病歴と医師の問診について
(一) 同事実中、(三)の(2)の事実、久保善彦が本件殺害行動に出たとき心神喪失の状態ではなかつた事実、以上の事実は当事者間に争いがない。
(二) 右争いがない事実、<証拠>を総合すると、次のことが認められ、この認定に反する<証拠>は採用しないし、ほかにこの認定の妨げになる証拠はない。
(1) 久保善彦は、昭和三三年秋、屋根の上を走り回る等の異常行動が続き、神戸の湊川病院に約三か月入院したが、病名は精神分裂病であつた。
久保善彦は退院後の同年一二月二九日から、大阪市東淀川区加島町三二五番地に転居し、そこで、時計の修理販売業の店をもつた。
しかし、久保善彦は、昭和四一年一二月四日から、約半年間精神分裂病の再発のため新阿武山病院(高槻市奈佐原所在)に入院した。退院後も通院し継続して服薬を続けていた。久保善彦の精神分裂病は、十三市民病院に入院する当時、完全緩解に近い不完全緩解状態にあり、分裂病感情はなく、正常な意思の疎通が行なわれた。この状態は、本件殺害行為の直前まで続いた。
(2) 久保善彦は、昭和四七年一一月一四日、顔面及び両下肢の浮腫、心悸昂進のため十三市民病院第一内科外来で、中瀬渉夫医師の診察を受けた。
中瀬医師は、その際、久保善彦に対し、同人の愁訴を中心に、今まで病気をしたことがないか、腎臓以外になにか病気をしたことがないか等の問診をしたが、久保善彦は、既往症がないと答えた。
久保善彦は同月二二日再度十三市民病院で高橋章医師の診察を受け、慢性腎炎の疑いがあるので、入院するようすすめられた。
そこで、久保善彦は、同月二四日、十三市民病院東病棟四階三五五号室(八人部屋)に入院した。
渡辺寿彦医師は、入院の際、久保善彦の主治医として問診したが、既往症についての申告がなかつた。
渡辺医師は、その後、再び久保善彦に対し、高熱を出したことがないかと尋ねたところ、久保善彦から、昭和二〇年にマラリアに罹患したとの答えを得た。久保善彦の病名は、ネフローゼ症候群、遊走腎、慢性胃炎及び胆石症の合併症ときまつた。
このように、久保善彦を診察した中瀬、高橋、渡辺の三内科医師は、久保善彦の精神状態が異常であることを認めなかつた。
久保善彦は、昭和四八年一月三〇日肺炎、結核の疑いが生じ同病棟・四階三一〇号室(二人部屋)に転室したが、肺炎が治り、結核の疑いがなくなつたので、同年三月二〇日、たまたま空いていた同病棟四階三〇二号室(四人部屋)に転室した。
久保善彦は、右三〇二号室で、訴外亡寺島民、訴外喜田余一、同平田秀道と同室することになるが、右四名の間が不仲になるようなことはなかつた。
(3) 十三市民病院では、主治医が毎日入院患者を回診するほか、院長である重藤内科医、副院長である中瀬内科医、第一内科医長が、それぞれ定期的に回診しており、看護婦も、定期的に病室を回つて患者の様子をみていたが、これらの医師や、看護婦の中で、久保善彦の精神状態の異常に気づいたものはなかつた。
(4) 久保善彦のように精神分裂病が完全緩解に近い不完全緩解の場合、本人が積極的に医師に対し精神分裂病の既往症を告知するか、幻聴幻覚のあることをいわない限り、本人が精神に異常のあることを看破することは、内科医にとつて至難である。
久保善彦及びその息子久保和生は、本件事故まで、精神分裂病で入院した既往症のあることを秘匿していた。それは、病院側がそのことを知つた場合、十三市民病院から退院させられてしまうことを懸念したからである。
(5) 十三市民病院には、精神神経科の診療科目がない。
(三) 以上認定の事実から次のことが結論づけられる。
(1) 久保善彦は、腎臓疾患によつて十三市民病院に入院したのであるから、医師が現病歴に必要な範囲で既往症を問診することは、現病歴を正確に把握し処置するために必要であることはいうまでもない。
(2) 十三市民病院の内科医師が、このほかに、精神病疾患の既往歴を必ず問診する必要はない。ただし、久保善彦に、初診時、入院時、入院中、何らかの精神異常を疑わせる言動のあつた場合は別である。
(3) しかし、久保善彦は、精神分裂病の完全緩解に近かつたため、その言動に異常が全くなかつたのである。したがつて十三市民病院の内科医には、久保善彦に精神分裂症のあることが看破できなかつたが、これを看破することは内科医としては至難であつた。
(4) 久保善彦には、入院した昭和四七年一一月二四日から、本件殺害行為の直前まで約七か月間、なんらの異常行動がなかつた。このことは、久保善彦が、精神分裂病の完全緩解に近かつたことの証左といえる。
(四) このようにみてくると、十三市民病院の内科医師が、久保善彦を入院させる際、細心な問診をすれば、精神分裂病の既往症が識別できたとは到底いえない。このことは、久保善彦の入院中といえども変らない。したがつて、原告らのこの点に関する主張は、十三市民病院の医師に不可能を強いることになるから、同医師には原告らのいうような過失はないとしなければならない。
三本件事故直近の久保善彦の言動と医師の過失について
(一) 前項で認定に供した証拠から次のことが認められ、この認定の妨げになる証拠はない。
(1) 久保善彦は、昭和四八年六月一七日ころ、妻の命日の法事のため外出したが、その二、三日後の夜中に、ベツドに起き上つて座り、口をもぐもぐさせて念仏を唱えているような様子を示したことがあり、同室の喜田外余一が目撃して、ちよつと変つた人だという印象を受けた。
しかし、喜田外余一は、このことを医師や看護婦に告げなかつた。
(2) 久保善彦は、同月二七日昼ころ、自室の窓から外に向つて大声で奇声を発した。これを聞いた喜田外余一と、平田秀直の付添をしていたその妻とが、看護婦と渡辺医師にそのことを告げた。
このことを聞いた渡辺医師は、直ちに久保善彦に変つたことがないかと尋ねたが、別に変つたことがないと答え平静に戻つていたし、上條看護婦長が久保善彦のベツドの傍に行き、「よく休めましたか、食欲ありますか、よく眠れますか」と尋ねたが異常がないとの返答を得た。
上條看護婦は、病棟の看護婦に対し、久保善彦に注意するよう指示し、看護婦はその指示に従つたが、翌二八日朝まで久保善彦には変つた行動がなかつた。
渡辺医師は、通常ある同室者間のトラブルと判断し久保善彦の病状も落着いていたので、同人をこの際退院させようと考え、二七日中にその息子久保和生に対し、六月三〇日午前中に来院するよう電話連絡した。
(3) 久保善彦は、二八日午前一〇時四五分ころ、ベツドの上に仰向きになつて新聞を読んでいた寺島民に対し、いきなり自分のベツドから下りて寺島民のベツドの傍らに行き、乗りかかるようにして所持していたペテイナイフで寺島氏の心臓部を力一杯刺した。このとき、久保善彦には「寺島民が新阿武山病院に強制的に入院させるといつている」との幻聴があつた。しかし、この幻聴が何時からあつたかは正確には判らない。
(4) 久保善彦は、寺島民の心臓部からペテイナイフを抜き、今度は、自分の頸部、胸部、上腹部を刺して自殺をはかつたが、未遂に終つた。
(三) 以上認定の事実やさきに認定した事実を総合すると次のことが結論づけられる。
(1) 久保善彦の異常行動中、十三市民病院の医師、看護婦がその同室者を通じて知りえたのは、本件殺害行為の前日に大声で奇声をあげたことだけである。
(2) この前日の異常行為を聞いた渡辺医師は直ちに久保善彦を問診したが、別に外見上変つた所見は得られなかつたし、上條看護婦長が久保善彦をみたときも、何時もと変つた点がなかつた。
(3) 渡辺医師、上條看護婦長が、その後にとつた措置は、適切なものであり、両名が漫然と放置したわけではない。
(4) 久保善彦のように精神分裂病が完全緩解に近い者が、一度、大声で奇声を発したからといつて、このことを直ちに精神病者の異常行動と結びつけて考えることは無理である。ただし、医師が、精神分裂病の既往症を知つているか、異常行動があつたとき幻聴、幻覚のあることを患者から告げられたときは別である。しかし、本件では、渡辺医師が、久保善彦から精神分裂病の既往症を告げられていなかつたし、前日の大声で奇声を発したとき、幻聴、幻覚があつたことを久保善彦本人から告げられていないのである。
(三) このようにみてくると、十三市民病院の医師、看護婦が、事故前日の久保善彦の大声で奇声を発したことに対する処置には、何らの責められるべき手落ちはない。したがつて、原告らが主張する過失が、十三市民病院の職員にあつたとすることは無理である。<以下、省略>
(古崎慶長 井関正裕 西尾進)